山猫文庫第3版

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ある731部隊関係者らしき人物の海没戦死

 ネット上のとある海軍予備士官の従軍記を読んでいたところ、少し気になるエピソードに出くわしました。
 「わがトラック島戦記」というその従軍記の著者は、海軍予備学生第3期の予備士官(最終階級はポツダム昇進で大尉)で、館山砲術学校の対空専修を経てトラック島の第46防空隊付になった方です。編制改編に伴い、第41警備隊付から第46警備隊付と所属が変わったそうですが、実質は変わらずトラックの春島で対空戦闘に従事されていました。
 問題の記述は、トラック島への移動過程が書かれた第2章「トラック島へ赴任」の中にあります。館砲を卒業した著者は、「第2長安丸」という特設運送船に乗船して1944年4月12日に横浜から出航、サイパン島とグアム島を経由してトラック島へ向かうのですが、そこで次に引用する奇妙な陸軍軍医が登場するのです。

 「第二長安丸の士官室の便乗者は、館山砲術学校同期のH、W、私(以上トラック島行き)、N、O(ポナペ島行き)と陸軍軍医少尉(どこかの島の鼠の調査とか)の6名で、指揮官、船長、1等航海士らと食事を共にした。」(太字は引用者強調)

 米軍のサイパン上陸を2カ月後に控えたこの時期に、わざわざ野生動物の調査のために南方に向かう軍医とは、いったい何者でしょうか。

 私は、この軍医少尉の正体は、満州第731部隊こと関東軍防疫給水部本部に関係する細菌戦要員だったのではないかと考えます。
 731部隊に代表される日本陸軍の生物戦組織については、これまでの研究で、サイパン島などのマリアナ諸島においてペスト菌の散布を計画していたことが判明しています。島を疫病で汚染して、米軍による航空基地としての利用を妨害しようという意図であったようです。当時においても細菌兵器の実戦使用は国際法違反でしたから、この作戦は陸軍参謀本部の関与の下で極秘裏に進められていたと推測されています。
 このマリアナ諸島での細菌作戦準備のため、731部隊などから十数人の軍医・研究員らが集められて、中部太平洋方面へ海路派遣されたのですが、実はこのうち岩崎光三郎軍医大尉(当時)指揮する3人が「わがトラック島戦記」の著者と同じ松5号船団加入船の「第18御影丸」(トラック島行き)に乗船していたのです。当時の海上移動は危険になっていましたから、敵襲による被害極限のため分散乗船することは十分に考えられます。
 そして、マリアナで生物兵器としての使用が予定されたペスト菌は、ネズミとノミによって媒介される病原体です。731部隊でもペスト感染させたネズミにより蔓延させる方式が検討されており、ネズミは不可欠な作戦資材でした。
 問題の軍医少尉は、このペスト作戦用ネズミの現地調達の可能性や、野生ネズミへの伝染がどの程度期待できるかなどを調査するため、派遣されたのではないでしょうか。悠長な生物学調査ではなく、米軍上陸後に備えた特殊任務であったとするなら、こんな時期にネズミの調査に赴くのも納得できます。研究者の秦郁彦によれば、マリアナ作戦用の派遣要員にネズミ飼育担当の軍属が含まれていることから、作戦資材のネズミも携行していたのではないかといいます。しかし、ネズミの大量輸送は共食いなどのおそれから難しく、現地調達の可能性を探るためのネズミ調査が並行して行われたとしても、不自然ではありません。
 ただ、後述のようにほぼ同時戦死となる731部隊岩崎軍医らに対しては異例の参謀本部葬が行われるのですが、その際に謎の軍医少尉に該当する人物は祭神となっていないことが気にかかります。同じ任務であれば、一緒に葬儀が行われてもおかしくないと思われますが、指揮系統上で参謀本部直轄要員ではなかったとすれば一応説明はつきます。

 そもそも予備的調査段階だったのか、あるいは実行寸前だったのか不明ですが、結果としてマリアナ諸島での細菌兵器実戦使用は無かったようです。「わがトラック島戦記」の著者や軍医少尉が乗船していた「第2長安丸」と、岩崎軍医ら乗船の「第18御影丸」は、ともにグアム島を出港後の5月10日未明、米潜水艦「シルバーサイズSilversides」に相次いで雷撃されて撃沈されてしまいました。謎の軍医少尉はこの戦闘で戦死し、「第18御影丸」の岩崎一行も全滅しています。731部隊要員の中にはサイパン島に上陸したグループもあるようですが、同地の玉砕戦に巻き込まれ、生存者は全くないといいます。
 秦郁彦は、仮にペスト菌を実戦投入すれば日本軍の方が被害を受ける結果になったのではないかと推測し、使用が無かったのは幸いであると評価しています。私も、大きな被害を受けるのは衛生装備不十分な日本軍の方で、しかも推定2万人の日系民間人や多数の現地人が居住していたこと、万一露見すれば米軍による報復を誘発しただろうことを考えると、実戦に至らずに済んで本当に良かったと思います。

参考文献
自由平の書棚」より「わがトラック島戦記
秦郁彦「昭和史の謎を追う〈上〉」(文春文庫、1999年)より「日本の細菌戦」
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