山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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鋼棺戦史(第3部 悲島戦線・第3章・その1)

3.独立中隊の挽歌

 ま幸くと 言ひてしものを 白雲に 立ちたなびくと 聞けば悲しも
                        ―大伴家持、「万葉集」より―

 日本陸軍の戦車部隊の編制には、独立戦車中隊と呼ばれる形式がありました。太平洋戦争中には、大規模な戦車部隊の配置に適さない島嶼の守備隊などのため、独立戦車第1中隊から独立戦車第14中隊まで欠番無しの14個中隊が誕生しています(注1)。
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 そのうちの独立戦車第7から第12中隊まで送り込まれた先がフィリピン戦線です。これらの6個中隊は、日本陸軍が目指すフィリピン決戦のため、守備隊と飛行場建設用重機を兼ねて1944年6月に新設されました。人員は指揮班・小隊3個・段列の計100人余り。部隊番号が偶数の中隊では新鋭の排土板(ドーザー)付き九七式中戦車(47mm)、奇数の中隊は旧式の八九式中戦車(甲)に整地用牽引ローラーを持たせたものを、それぞれ11両装備していたようです(注2)。独立戦車第9中隊の例では乗用車1両・自動貨車4両・軽修理車2両の支援車両も持ち、他の中隊もおおむね同内容と推定します。当初の指揮官は第7中隊:河野勲大尉、第8中隊:岩下市平大尉、第9中隊:土屋光治中尉、第10中隊:後藤数馬大尉、第11中隊:助川正夫大尉、第12中隊:門田良和大尉が着任しました。

 日本本土の戦車隊を母隊として編成された6個の独立戦車中隊は、海路フィリピンへ出発します。部隊番号順に威358部隊から威363部隊までの通称号(「威」は南方軍の兵団文字符)が割り振られました。しかし、1944年にはバシー海峡を始めフィリピン周辺はアメリカ潜水艦の待ち構える危険水域となっており、誕生まもない戦車隊の前途は多難でした。
 最初の便と思われるのは7月3日に門司発のモマ01船団で、陸軍特殊船「摩耶山丸」に乗った第9・第12中隊の各人員主力が無事にルソン島へ上陸。しかし、続いて7月6日に門司を出たモマ02船団(高雄から別名でタマ21C船団)は戦車第2師団の一部も同乗する重要船団でしたが、独立戦車第8中隊先遣小隊が乗った「仁山丸」、独立戦車第10中隊主力の乗った「祥山丸」、独立戦車第12中隊の車両が積まれた「日山丸」を含む6隻が撃沈される大打撃を受けます。第8中隊は9人、第10中隊は中隊長を含む43人、第12中隊は4人が戦死しました。海没した隊の装備車両は当然全損です。

 ルソン島に上陸した独立戦車中隊は大きく再編成される羽目になりました(注3)。独立戦車第7中隊はそのままレイテ島へ派遣。1個小隊を失って残存戦車8両に減った独立戦車第8中隊は、第12中隊の人員の一部をもらい岩下中隊または岩下独立戦車隊と改称。代わりに独立戦車第9中隊が第8中隊へ繰り上げになります。独立戦車第10中隊は解隊されて、残存人員は新第8中隊(旧第9中隊)と戦車第2師団へ吸収。独立戦車第11中隊は第9中隊へ繰り上げ。独立戦車第12中隊も解隊されて、人員は岩下中隊と新第9中隊、戦車第2師団へ吸収されました。以下、新しい部隊番号で呼称します。
 その後、独立戦車第8中隊長の土屋中尉は戦病により後送され、同中隊第1小隊長だった松元三郎中尉が昇格。独立戦車第9中隊長の助川大尉も少佐に昇進して病身のせいもあってか第103師団へ転任となり、指揮班長の中島保男中尉が交替しています。戦史叢書の「捷号陸軍作戦<2>ルソン決戦」の付表で独立戦車中隊が3個しか編制表に載っておらず、しかも表に2か所空欄があること、中隊長も前記の初期メンバーと異なっていることは、この最終状態を記載したのが理由と思われます。
 レイテ島へ派遣された独立戦車第7中隊は第16師団に配属(詳細は第3部第1章予定)。ルソン島の岩下中隊はマニラ北方のカロカン、サブランへ駐屯。独立戦車第8中隊はセレベス島への派遣計画もあったようですが中止となり、ルソン島南部の第105師団へ配属。独立戦車第9中隊は、戦車第2師団の各隊から集成した津守独立戦車中隊(軽戦車15両)とともに、北部の第103師団へ配属されました。それぞれ所在地の飛行場の土木作業や対ゲリラ警備に従事しつつ、アメリカ軍の上陸を迎え撃つこととなります。(その2へ続く


注記
1 独立戦車第1中隊はガダルカナル島増援、第2・第5・第6中隊は千島列島守備、第3・第4中隊はパラオへ進出途上のサイパン島で玉砕(第2部第3章参照)、第13・第14中隊は終戦近くに日本本土方面で新設(第5部第2章予定)。

2 装備戦車は九七式中戦車ではなく一式中戦車とする資料もあり。独立戦車第7中隊については九五式軽戦車とする資料もあるが、展開先のレイテ島で撮影された写真のある八九式中戦車だった可能性が高いと考える。

3 改編経緯は元独立戦車第8中隊(旧第9中隊)の下士官であった細田正一氏の史料に依拠している。
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