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山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

鋼棺戦史(第3部・第5章・前編)

第三部 悲島戦線
5 消えた連隊(前編)


 比島をもじって悲島と言われたフィリピン戦線、その中でも一兵も残さず謎の消滅をしたと伝えられる日本軍部隊があります。捜索第23連隊長の久保田尚平中佐率いる久保田支隊です(注1)。 

 太平洋戦争も後半、日本陸軍がついに対米決戦を企図したのがフィリピン防衛戦でした。それまでの島嶼戦と異なって数個兵団を展開した大規模地上戦ができる戦場になったこともあり、関東軍に残されていた戦車第2師団などの精鋭部隊が、師団単位で続々と南方転用されていきます。その一つとして1944年10月に出動したのが、捜索第23連隊の属する第23師団でした。
 満洲ハイラル駐屯の第23師団は、ノモンハン事件でいわゆる小松原兵団としてソ連軍と戦って壊滅した部隊です。事件後に再建された第23師団はその後の関特演も経て大幅な近代化がされていました。ノモンハン周辺の満洲西部の平原に合わせて長射程の九〇式野砲や通常は野戦重砲兵連隊しか持っていない九六式15cm榴弾砲を装備し、九五式軽戦車装備の師団戦車隊まで保有しました。太平洋戦争中盤以降、師団戦車隊を戦車第16連隊として抽出されるなど戦力は低下しますが、精鋭師団であったのは間違いないでしょう。
 ノモンハン事件で2度まで全滅した偵察部隊の師団捜索隊(第1部1章及び4章参照)も、完全自動車化された捜索第23連隊として再建されていました。乗車中隊と装甲車中隊各1個基幹の規模でしたが、南方派遣直前の1944年10月の編制改正(昭和19年軍令陸甲135号)で乗車中隊2個(第1・第2中隊)と装甲車中隊2個(第3・第4中隊)に拡大され、人員も439人に増強されています(注2)。生還者の供述によると、各乗車中隊は九九式小銃と軽機関銃4丁装備、装甲車中隊はそれぞれ九七式軽装甲車8両装備(37mm戦車砲装備3両・機関銃装備5両)でした(注3)。中隊長車と小隊長車が砲装備だったものと思われます。

 第23師団は3つの梯団に分かれてフィリピンへ運ばれることになり、捜索連隊は第3梯団で1944年11月22日に出発します。この頃の海上輸送では途中で潜水艦などの襲撃で一部が海没することが当たり前となっており、被害極限のため、連隊本部と第1中隊・第4中隊は「伯剌西爾(ぶらじる)丸」、第2中隊と第3中隊は「はわい丸」に分乗しました。第1中隊長が荷役中の事故で負傷(注3)残留する幸先の悪いスタートで、輸送船2隻はミ29船団に加入して南下しますが、12月2日に「はわい丸」は潜水艦に撃沈されてしまいます。「伯剌西爾丸」は12月23日にルソン島・北サンフェルナンドに無事到着して、12月26日までに荷役完了。分散乗船したおかげで半数だけは助かったものの、戦わずして戦力半減したことになります。
 なお、鈴木昌夫は、装甲車中隊のうち第3中隊が健在で第4中隊が海没としていますが(注7)、生還した捕虜(第4中隊所属)の供述調書では第3中隊が海没となっており(注3)、中隊長名などを正確に供述している様子から虚偽供述の疑いはなく、健在だったのは第4中隊と思われます。
 ヒ81船団で運ばれた師団主力も「あきつ丸」「摩耶山丸」の沈没で大損害を受けており、師団の戦力は3分の2以下に落ち込みました。

 ルソン島に進出した第23師団は、一時はレイテ派遣も検討されたものの、戦況悪化でそのままルソン島リンガエン湾の防備に当たることになります。第14方面軍司令部の置かれたバギオから南に下ったシソンに師団司令部を構え、独立混成第58旅団を指揮下に入れてリンガエン湾の北東部に布陣しました。
久保田支隊地図 リンガエン湾の南側(リンガエン町正面)は当時も現在も養魚場が広がっているような湿地帯であるため、大規模上陸は困難と予想され、守備兵力はほとんど配置されていませんでした。1944年12月後半に、いわゆる「マルレ」装備の特攻舟艇部隊である海上挺進第12戦隊(秘匿のため漁撈第12中隊と呼称)とその支援部隊である海上挺進基地第12大隊(秘匿名は漁撈基地設定第112大隊)が、第23師団の命令によって北サンフェルナンド近郊ポロから、リンガエン湾西部ボリナオ半島のスアル港へ移動した程度でした。
 しかし、12月28日、西村敏雄第14方面軍参謀副長がシソンの師団司令部に立ち寄り、クラーク地区との連携のためスアルにも戦闘部隊を配備するよう指示します(注4)。12月20日の『北部呂宋地区作戦指導要綱(案)』を見るに、方面軍としては、米軍がリンガエン湾西部のボリナオ半島に上陸して平野へ東進する危険があると見て、海上挺進部隊を援護しつつ、進撃ルートの隘路を塞いでおくという考えがあったようです。また、クラーク地区との連携というのは、スアルを確保することで、ボリナオ半島を横断して半島西岸伝いのルートでクラーク地区の建武集団をリンガエン湾・バギオ方面へ収容できる可能性も期待していたようですが、これは後に実際に山地入りした日本兵が辿った運命に照らすと非現実的な計画だったように思われます。

 かくて、スアル派遣部隊として白羽の矢が立ったのが、到着間もない捜索第23連隊(長:久保田尚平中佐)でした。久保田捜索連隊は、海没人員の補充もそこそこに北サンフェルナンドを発ち、ウルダネタ・リンガエン町・海岸道経由で1月1日~1月5日にスアル東方ラブラドルへ逐次進出しました。工兵連隊の落合秀正大尉は、1945年元旦にリンガエン町東方のダグパンで装甲車隊を率いた久保田中佐を見かけたと回想しています(注5)。
 また、捜索第23連隊は「連隊」といっても実力2個中隊(推定兵力300人)しかないのを補うため、同じ第23師団の歩兵第72連隊第1大隊(長:野田敏夫大尉)が配属されました。同大隊は北サンフェルナンドに残って荷役作業の手伝いをしていたところ、そのまま師団主力と分離行動することになったものですが、歩兵第72連隊にとっては唯一海没しなかった完全状態の大隊を取り上げられたので非常に不満だったようです。約900人の野田大隊は捜索連隊よりひと足早く、12月29日頃に同じルートのトラック輸送でラブラドルに進出します。野田大隊に執心の中島嘉樹歩兵第72連隊長は、野田大隊に配属した連隊通信要員(1個無線分隊)に同行して、大隊本部のあるラブラドル小学校まで激励に行きました(注6)。
 工兵第23連隊第2中隊の1個分隊が陣地構築支援に付けられています。海上挺進第12戦隊(約100人)と海上挺進基地第12大隊(約900人)、スアル周辺にいて区処を受けた憲兵や後方小部隊を合わせて総兵力は約2300人。指揮官名をとって久保田支隊と呼ばれます。兵力の約半数は船舶部隊で、海上挺進基地大隊が一応は地上戦闘機能を有するとはいえ、支隊全部で増強歩兵大隊程度の地上戦力と見るべきでしょう。重装備は大隊砲(2門?)と九七式軽装甲車8両(砲装備3両・機関銃装備5両)だけと思われます。

 久保田支隊のスアル派遣と合わせて、中間拠点としてカバルアン丘にも大盛支隊(歩兵第71連隊第2大隊基幹)が派遣されました。カバルアン丘はルソン戦序盤で屈指の激戦地となる場所です。

 なお、第14方面軍は第23師団に対して、久保田支隊や大盛支隊の分遣だけでなく師団主力もリンガエン平原正面に主陣地を進めるよう重ねて指導しますが、第23師団は部下の連隊長の命令無視を理由に実行しませんでした。方面軍としては内陸で実行中の物資や部隊の北部移転の時間稼ぎが必要だったのですが、第23師団としては正面展開するに兵力不足で、地形的にも不利な平地戦闘は避けたかったがゆえの方便と思えます。結果的に身代わりのような形で、米軍上陸直後に戦車第2師団の重見支隊(戦車第3旅団基幹)がウルダネタなどリンガエン平原正面に進出し、おおむね上掲の図のような態勢で米軍上陸を迎えることになります。
 久保田支隊は師団主力から直線距離で約50kmも離れており、間には大盛支隊1個大隊がいるだけで最初から孤立していました。(中編に続く


<注記>
  1. 久保田支隊の行動についての先行文献としては、鈴木昌夫「消滅した久保田支隊の謎」『丸別冊太平洋戦争証言シリーズ4 日米戦の天王山-フィリピン決戦記』 潮書房、1986年、 361頁以下が最も詳細と思われます。著者は歩兵第72連隊通信中隊長。また、インターネット上で同部隊を紹介した記事として、「消えた久保田支隊」(読書放浪記録)があります。
  2. 「第23師団」『第十四方面軍編制人員表』 JACAR Ref.C12120986600(画像9枚目)
  3. 201-2.3: I Corps - G-2 Journal File (2 Apr 1945) (文書名:Records of the Adjutant General's Office; World War II Operations Reports 1940-1948 = 米陸軍省高級副官部資料/第2次世界大戦作戦記録) (シリーズ名:I Corps) (ボックス番号:3051 ; フォルダー番号:2)
  4. 戦史叢書『捷号陸軍作戦(2)』 86~87頁。
  5. 落合秀正「旭兵団ルソン島転戦記」『丸別冊太平洋戦争証言シリーズ4 日米戦の天王山-フィリピン決戦記』 潮書房、1986年、 335頁。落合秀正大尉は、高木俊朗『ルソン戦記-ベンゲット道』の主人公的人物。
  6. 前掲鈴木「消滅した久保田支隊の謎」 363頁。
  7. 前掲鈴木「消滅した久保田支隊の謎」 364頁。
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