山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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ノモンハン事件で旧日本軍が毒ガス戦を準備

『旧日本軍が満州で毒ガスの実戦使用を計画していたことが、防衛省防衛研究所で発見された関東軍の機密文書から明らかになった。発見された文書は、国際法で使用が禁止されていたマスタードガス弾7000発を前線に送るよう指示したノモンハン事件時の関東軍の作戦命令。ノモンハン事件は、太平洋戦争前の1939年に満州(現在の中国東北部)で起きた、日本の関東軍とソ連・モンゴルの軍事衝突で、日本軍がソ連の機械化部隊によって惨敗した。××大学講師の○○さんによると「日本軍の戦争犯罪を明らかにする貴重な史料。日中戦争での化学兵器使用はこれまでも知られていたが、ノモンハン事件に関しては初めて。日本軍は、毒ガスで戦況を挽回しようと考えたのではないか」という。』(毎朝新聞2011年5月21日

 ノモンハン事件時の迫撃第2連隊についてまとめてみたところ、ノモンハン事件ではかなり具体的な化学戦準備がされていたことがわかります。当時の状況を思えば、常識的な対応だと思いますが。ただ、センセーショナルな報道をしようと思えば、ネタにはなりそうな気がします。
 なお、この辺の化学戦の話は、たしか吉見義明の本にもすでに取り上げられていたと思ったので、新しい話ではないです(追記参照)。

関連記事:「鋼棺戦史:第1部第5章 悪名高き部隊

追記(2011年5月24日)
 確認したところ、吉見義明「毒ガス戦と日本軍」(岩波書店、2004年)の118頁に言及あり。

死傷3割の損害は全滅なのか

「損耗率3割で全滅判定を喰らう事は軍事的には常識なのですが、世間にはあまり知られていません。」(週刊オブイェクト

 戦術用語での「全滅」は、日常用語とは異なって、一人の生き残りもいない状態を指すわけではありません。部隊としての組織的戦闘継続が不能になった状態を「全滅」と評価するからです。まあ、辻政信@ノモンハン事件の「全滅とは何事か!貴様たちが生きてるじゃないか!」という具合に、軍人さんでも日常用語の方を使うことはもちろんあります。
 さて、俗に損害が3割を超えると全滅だと言うようですが、これの出典はどこなのだろうと気になっています。厳密な定義ではなく経験則的なものなのでしょうが、誰が言い出したのでしょうか。
 探してみると、戦史叢書の「関東軍<1>」の681頁で気になる記述に行き当たりました。いわく日本陸軍においては、短時間に部隊の30%の打撃を受けた場合には一時的に戦闘力が失われ、50%の打撃を受けた場合には殲滅的打撃と判定していたのだといいます。これは日露戦争等での経験から得られた法則なのだそうです。戦史叢書の出典情報によれば、原典は陸軍大学校編「戦史講義録」(下巻、1925年)の鈴木重康中将(最終階級)となっています。
 もし、30%で全滅ルールというのが日本陸軍独特の経験則だとすると、ちょっと興味深い話だと思います。「戦史講義録」にあたってみたいところですが、あいにくと持っておりません。お持ちの方があれば、教えていただけると助かります。

追記
 この話題に関してTwitter上で興味深い発言が色々と出ていたので、まとめてみました。世の中って詳しい方がたくさんいるんだなと、とても参考になりました。
 「3割死傷で全滅が軍事の常識って本当なのか?」(Togetter)

参考文献
防衛庁防衛研修所戦史室「関東軍<1>対ソ戦備・ノモンハン事件」(朝雲新聞社、1969年)

戦史叢書の改訂版のこと

 昨日の記事で「戦史叢書」について改訂版が出ると書いたのですが、その後に気になって防衛研究所の公開情報を確認したところ、あまり期待しすぎないほうが良いみたいです。

 改訂版がでるという情報のソースとしては、2003年8月12日の読売新聞の報道があります。読売新聞によれば、戦後の安全保障なども盛り込んだ全面改訂版をCD-ROMの形で出すといい、「約10年後」(当時。つまり2013年頃)に1巻目を出したいとなっていました。

 ところが、当の防衛省防衛研究所戦史部(今の「戦史叢書」を出した時には防衛庁防衛研修所戦史室だった部署)は、この読売報道よりあとの時期に、戦史叢書の改訂版や要約版の発行について、戦史部の能力・組織・時間的に多くの困難があるとしています。これは、2007年(平成19年)に戦史部主催で行われた戦争史研究国際フォーラムにおいて、加賀谷貞司戦史部長が、議長総括の中で述べているものです(注1)。
 議長総括によると、戦史叢書については、旧軍人が執筆したことによる客観性・学術性への疑問、陸海軍別になってしまった記述(特に戦争指導関係)などの問題点が指摘され、改訂版や要約版が要望されているとします。しかし、現在の戦史部の体制では、教育や国際交流などの任務もあることをふまえると、対応は非常に困難だといいます。かつての編纂はのべ100名以上の研究員で、しかもほとんどが従軍経験者という充実した態勢で、20年以上をかけて行ったものだそうです(注2)。
 その代わりに現体制で可能なこととして、この平成19年度国際フォーラムのテーマを「太平洋戦争の新視点-戦争指導・軍政・捕虜-」と設定したというのです。新たな視点から新史料も駆使して太平洋戦争を再検討することが有意義であると説明されています。

 また、防衛研究所長の出した通達(注3)でも、戦史叢書の補完も触れられてはいるものの、具体的な改訂版発行の話までにはなっていません。現在の防衛政策に関係する戦史研究や、緊急性のある史料収集(関係者が生きているうちにオーラルヒストリーを聴取等)が優先事項となっており、太平洋戦史叢書はリソースの関係で基本的に後回しという感じです。
 なお、この通達の発出時期は平成15年7月で、冒頭の読売報道の少し前にあたり、これが記事の元ネタではないでしょうか。通達の内容を知った読売新聞記者が取材して、
 読売「『出版形態や体裁』とはなんぞや?」
 防衛「例えばCD-ROMの利用が考えられる。」
という様なやりとりがあったのかなと想像します。通達には、直接に戦史叢書の話ではないものの、戦後の現代史の編纂も必要という記述があり、読売報道に言う「戦後の安全保障なども盛り込」むという話によく似ています。この想像が当たっているとすると、残念ながら読売報道は勇み足だったということになりそうです。

 ただ、読売の早とちりだとしても、まだ希望を捨ててしまうには早いでしょう。早いと信じたい。
 加賀谷レポートによると、平成19年度からの新事業として海外史料の収集が始まっているそうで、旧日本軍の散逸史料や連合国側の戦争指導関連史料が調査されているといいます。連合艦隊の戦時作戦日誌のうち開戦直後の欠落部分がメリーランド大学で発見されたという話がありましたが、実はこの事前調査で得た成果だったとのこと。
 「ソースは確実だが明かせない系」と称し、密かに作業は進められてるぞという2009年1月(?)の2ちゃんねるへの書き込みもあります。そんなもの信用出来るかと言えばそのとおりで、逆に、関係者からそういう計画はないと聞いたと言う話もあったりします。
 いずれにしろ、なんらかの形で新史料に基づく研究成果は発表されるはずです。前述の通達にも補完計画が一応は挙げられているわけです。たぶん、読売新聞の言うような全面改訂版というよりは、補遺ないし小規模な「続・戦史叢書」のような形に収まるのではないかと思います。そのくらいならなんとかなるはず、と漠然たる希望的観測であります。
 なお、個人的な願望としては、とりあえず内容は旧版のままでも構わないので、PDFなど語句検索可能な形で電子化して一般向け公開して欲しいです。もちろん、逐次作成したという「正誤表」や「引用集」、おそらく今は部内専用のもの、を加えていただけると非常にうれしいのは言うまでもありません。まあ、戦史叢書みたいな詳細な戦史を電子化しても、喜ぶのはおおかた軍事オタクどもでしょうから、あまり優先順位は高くないのだろうなあ(注4)。


追記
 戦史叢書の電子化は、国立国会図書館の電子化事業のほうに期待した方がいいのかもと、後から思いました。
 あと昭和館で、すでに電子テキスト化されてましたね。注4の部隊略歴と同じく、昭和館内の端末から使えます。一回使おうとしたらフリーズして以来、使ったことが無いので忘れていました。印刷媒体の現物が開架図書で全部揃っているので、そちらで間に合ってしまう面があり。

 hikasukeさんが教えて下さったところによると、デジタル化と3分冊程度の概説書編集が進んでいるそうです。デジタル化については、とりあえず研究者や防衛研究所の史料閲覧室用に試行運用をはじめるとのこと。概説書のほうは独立回復までの時期を扱うそうで、停戦後のあれこれが出てくるのかと楽しみです。詳しくはhikasukeさんのブログ「鋼鉄の嵐の中で」をご覧ください。(2010年6月18日追記)


注記
1 加賀谷貞司「太平洋戦争の新視点-戦争指導・軍政・捕虜-」(平成19年度戦争史研究国際フォーラム)

2 ちなみに現在の戦史部所属の研究者は、公式サイトに掲載されている名簿によると29名。

3 「戦史史料編さんに関する指針について」(平成15年7月22日発、平成19年1月9日改正)

4 軍事オタクが喜ぶ以外には、従軍経験者やご遺族が、所属部隊のことを自分でも調査しやすくなるということはありそうです。部隊名や通称号で検索できれば、だいぶ容易になるはず。なお、復員時にまとめた部隊略歴はすでに電子化されていまして、昭和館で一般公開されて非常に便利です。

戦史叢書の正誤表の対照表

 「戦史叢書」とは、太平洋戦争および日中戦争についての日本軍の公刊戦史です。戦後になって防衛庁防衛研修所戦史室(今の防衛省防衛研究所戦史部)が編纂して、防衛庁御用の朝雲新聞社から出版したもの。全102巻にも及ぶ大作で、この時期の戦史を研究するには欠かせない基本資料となっています。全面改訂版の編纂が進められているとの情報もありますが、本当に出るのか雲行きが怪しく、いつ出るのかはっきりしないうえ、戦術行動の詳細よりも戦争指導などの大局的部分を重視した内容になるそうで、現行版も将来に渡って貴重な資料となるものと思われます。
 さて、前置きが長くなりましたが、全102巻にもなると別の巻に付いてくる正誤表を探すのも一苦労。そこで、正誤表と本文の対応関係をメモしておくことにします。私がまとめたものではなく、戦史叢書自体に載っていた対照表を起こしただけのものですが。


※「1-2」は、「第1巻の記述についての正誤表は、第2巻に付属すること」を示す。

1巻~10巻:1-2、2-3、3-4、4-5、5-6、7-8、8-20、9-10、10-12
11巻~20巻:11-13、12-17、13-14、14-15、15-16、16-18、17-24、18-19、19-20、20-35
21巻~30巻:21-22、22-23、23-25、24-26、25-27、26-29、27-28、28-30、29-31、30-32
31巻~40巻:31-37、32-33、33-34、34-36、35-59、36-48、37-38、38-39、39-43、40-41
41巻~50巻:41-42、42-44、43-45、44-47、45-46、46-49、47-50、48-52、49-54、50-51
51巻~60巻:51-55、52-53、53-62、54-56、55-57、56-62、57-58、58-59、59-63、60-64
61巻~70巻:61-74、62-71、63-66、64-73、65-68、66-75、67-75、68-69、69-70、70-76
71巻~80巻:71-72、72-77、73-84、74-78、75-81、76-81、77-79、78-87、79-80、80-85
81巻~90巻:81-83、82-86、83-88、84-86、85-83、86-90、87-94、88-91、89-94、90-92
91巻~100巻:91-93、92-89、93-95、94-96、95-96、96-98、97-102、98-100、99-102、100-101
101巻~102巻:101-102、102-102


関連記事
戦史叢書の改訂版のこと」(2009年12月19日)

ノモンハン事件の対戦車兵器あれこれ

 ノモンハン事件中、日本軍とて手をこまねいていたわけではなく、前の記事で触れたような火炎瓶以外にも戦車対策はいろいろと考えました。
 速射砲と呼ばれていた対戦車砲の集中が代表例です。中距離であれば(*1)、当時のソ連軍のあらゆる装甲車両を撃破する威力がありました。本来は1個歩兵連隊に1個中隊(4門)しかないのですが、ハイラル要塞に配備されていたものを抽出して独立速射砲中隊7個(単純計算だと28門)以上を編成し、第23師団に配属しています。事件後半にかけては、満州各地の師団からも速射砲中隊だけが抽出されて投入され、最後は中国戦線まで手を伸ばしてかき集めています。戦車の矢面に立つために損耗も激しく、7月20日までには18門(現地保有数の25%)を破壊されて、いっそ日本本土の速射砲と砲弾を全部送ってくれという悲鳴のような電文が関東軍兵器部から発信されています(関兵電513号)。
 やや旧式化した41式山砲も、各歩兵連隊の歩兵砲「連隊砲」と称して配備されており、対戦車用に活躍しました。トラックに積み込んで木製架台に据え付け、簡易対戦車自走砲として運用した例もあります。後半には重砲兵部隊の自衛用としても山砲が追加配備されていました。

 対戦車用に投入された新兵器の一つが97式20mm自動砲、採用間もない対戦車ライフルです。
97式20mm自動砲ノモンハン事件で鹵獲 数の詳細はわかりませんが、全部で20門から50門程度が実戦使用されたのではないかと言います。少なくとも7月29日に、ノモンハン事件用として関東軍へ10門が支給されたことが確認できます(*2)。前線に届いたものの例として第23師団の歩兵第71連隊に1門が支給されておりますが、試射した途端に破損して返却されてしまったといいます(*3)。なお、ソ連軍の鹵獲兵器リストにも1門だけ記録され、写真も残っています(右画像)。
 威力の方は、軽装甲だった当時のソ連軍装甲車両になら一応の効果があったようです。歩兵第71連隊第2大隊の大隊砲小隊長代理だった見習士官によると「本当に良い砲」だったといいます。同連隊には、前述の最初の1門が試射だけで破損してしまった後、再び1門支給されて第2大隊の大隊砲小隊に配備されていました。同連隊は小松原師団長直率の救援隊に参加し、自動砲は8月30日のバルシャガル高地での戦闘では大活躍したそうですが、最終的には破壊されたものと思われます。
 しかし、将来的な威力不足が危惧されたのか、はたまた高価格が災いしたのか、97式自動砲のその後の生産は少数に終わっています。

 もう一つの新兵器は火炎放射器(日本陸軍式には「火焔発射機」)です。ソ連軍は陣地攻撃に使い日本兵を恐怖させましたが、日本軍は対戦車兵器として持ちだしています。対戦車攻撃専門の独立工兵小隊3個が、それぞれ93式小火焔発射機を12基も装備して末期に出動したのですが、おそらく実戦には参加していません。
 火炎放射器の対戦車用法は関特演の際のマニュアルに紹介されていたり、ドイツ軍の教本にも出てくきたりするのですが、射程の短さなどからあまり有効とは思えません。しかし、日本陸軍は有力と考えたらしく、太平洋戦争中も対戦車任務に使用しています。隙間から車内に火炎を送り込んで損害を与えるという作用機序から、火砲と違って装甲厚を無視して攻撃できる点に期待したのでしょうか。

3年式重機関銃高射仕様_ノモンハン事件 以上のほか、97式自動砲の姉妹品ともいうべき新兵器の98式20mm高射機関砲も、本来の対空戦闘ではなく、対戦車戦闘に使用され活躍したという説もあります。当時は制式前で「試製九八式二〇粍高射機関砲」と呼ばれておりました。これに対し、Wikipediaのノモンハン事件の項目では、投入の事実はなく自動砲の誤認であるとしています。しかし、独立野砲兵第1連隊本部が、防空用に「高射機銃」を持っていたという証言(*4)があり、これは98式高射機関砲の可能性がありそうです。ほか、高射砲部隊の補助装備にも対空機銃があったようです。(左画像はノモンハン事件中の日本軍だが、使用しているのは3年式重機関銃の派生型高射機関銃)

注記
*1 ソ連側の戦車砲は45mmと一回り大口径であったため、射程外から一方的攻撃を浴びてしまうこともあったようです。そのため、新型の47mm速射砲の開発を急ぐべきとの戦訓が報告されていますが、実際に1式47mm速射砲が完成したのはだいぶ後で、生産も間に合わず真の後継とは成れませんでした。

*2 「兵器特別支給の件」(JACAR:Ref.C01003491000)

*3 「ノモンハン会報 第51号」収録の、歩兵第71連隊第2大隊の大隊砲小隊所属の見習士官の回想。ニゲーソリモト付近にいたときに最初の1門が支給されたといい、8月下旬の師団司令部への合流前と思われます。

*4 「ノモンハン会報 第25号」収録の独立野砲兵第1連隊員の回想によると、7月3日に敵機1機の撃墜を報じています。もっとも詳細不明で、ホ式13mm高射機関砲や対空銃架に据えた重機関銃などの可能性もありそうです。連隊史を一読した限りでは機種不明。

参考文献
マクシム・コロミーエツ「ノモンハン戦車戦」(大日本絵画、2005年)
アルヴィン・クックス「ノモンハン―草原の日ソ戦1939」(上巻、朝日新聞社、1989年)
徳田八郎衛「間に合わなかった兵器」(光人社NF文庫、2001年)
「第2次ノモンハン事件損失兵器補充に関する件」
    (アジア歴史資料センター(JACAR):Ref.C01003492200)
「戦車第5連隊及独立工兵小隊編成に関する件」(JACAR:Ref.C01005956100)
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
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